2006年5月23日 「みなまた京都賞」受賞

「みなまた京都賞」は、水俣病京都訴訟の和解が成立したのを期に、その和解金の一部を基金に積み立て、毎年、環境やまちづくりなどに貢献された団体や個人に送られるもので、平成10年から毎年挙行され、今年で9回目になる、たいへん権威ある賞です。

 今年は、水俣病事件が発生してちょうど50年目の節目の年です。和解金の一部を「今後の各方面の活動がさらに発展するように」との願いを込めたこのような栄誉ある賞を、いただけたことは大変光栄です。その重みをひしひしと感じます。
 受賞理由は「2001年5月以来、京都市民がこよなく愛する東山の麓、慈照寺銀閣に隣接する半鐘山に乱開発の計画が起きるや、地元の市民が中心となり会を作り、裁判のみならず市民運動などによって、緑の保全のため地道な活動を続け、世界遺産に登録されている京都の社寺の面的保全に多大の貢献をなしている」ことでした。

 半鐘山を守る活動もすでに9年目となり、僕も議員になる前からみなさんと取り組んでいます。今回の受賞は、まさに地域のみなさんと、立場を超えた「緑の里山を守れ」「世界遺産銀閣寺のバッファゾーンを守れ」との共通した思いによる、粘り強い取り組みのたまものだと思います。また、法整備が不十分な中にあって、さらに京都府や京都市の不誠実な対応の中、岡村・尾西両代表のイニシアチブと人徳と、弁護団、専門家、そして多くのみなさんのご支援あってこそだと思います。
 今回、「半鐘山と北白川を守る会」のほか、個人で「上妻四郎」先生が受賞されました。
 先生は、1969年以降、水俣病の潜在患者の発掘に努力され、なかでも(熊本)県民会議医師団を組織して、多くの良心的なお医者様と共に、患者の立場に立った医療を提供し続け、今日なお、多くの被害者が救済されていない水俣病被害の救済に努力されてこられたことが受賞の理由であるとのことでした。

授賞式には、木田安子さん、岡村千江子さん、光永敦彦の3名が出席し、弁護団は、飯田先生、玉村先生が同席していただきました。会場にはマスコミも大勢きていてビックリ。

解決まで後一歩のところに来ています。みなさま、どうかいっそうのご支援をお願いします。

翌日、各紙に大きく報道されてまたまたビックリしました。
その記事をみた我が子あいが、翌朝の学校朝礼でそのことをまとめて発表したそうです。そのことを鼻の穴を大きくして家で報告していました。先生にであうと「そんな活動もされていたんですねえ」と感心されてましたが、この活動は議員になる前からのもので、絶対勝利するまで頑張ろうと取り組んでいるものなのです。

   ↑表彰状を受け取る                  ↑選考委員の甲斐先生らと懇談