2006年12月26日 歴史的「勝利」和解の日

半鐘山の緑を守る闘いも8年9ヶ月。そして、12月26日に、京都地方裁判所において、山の形を残し、周辺を緑地公園として京都市に無償譲渡すること、宅地面積は大幅に縮小することなどを盛り込んだ「勝利」和解が合意されました。
 言葉では簡単に言い表すことができないほど、感激した。最終意見陳述には、40人を超える地元住民が参加し、マスコミも多数。京都市も業者も出席のもと、尾西共同代表が陳述。闘いを振り返りながら、京都市の対応を批判。陳述の最後に「自分の一生をかけて、山を守っていきたい」と結ばれた。涙があふれました。
裁判長から、京都市長の代理人弁護士に、「何かありますか」と促され、代理人の弁護士は「和解の成立により裁判が取り下げとなった。京都市長の代理人として、終了したことは、原告、関係者、会社など、ご尽力いただいたことに敬意を表します」と一言。最後まで、ここまで長引いた京都市の責任に対する謝罪の言葉は一言もなかった。
 これを受け、裁判長から「損害賠償も含めて、合意されたことは、長い間にわたる、住民の熱い、真摯な努力の賜物です。半鐘山が自然や景観を守る象徴として今後も保全されるよう希望します。」と述べられた時は、住民から長年にわたる闘いの意味をかみしめる、深い安堵の声が漏れた。
 その後、弁護士会館で開かれた記者会見には、テレビや新聞記者が多数おしよせ、私も一言求められたので「長年の住民の山の緑を守るという無償の闘いによってこそ、こういった結果となった。その一員にいられたことが幸せです。しかし、ここまで長引かざるをえなかったのは、京都市も京都府も、緑を守る住民の願いに対し、積極的な役割を果たしてこなかったことは明らか。しかも、住民に謝罪の一言もなかったことは批判されるべき。ただ、今回京都市において景観にかかわる条例が検討されていることが示され、これをもって、事実上謝罪したとみなし、まさにわれわれの運動が行政を遅きに失したとはいえ、また不十分とはいえ、景観行政に変化を起こしたことは、運動の賜物だと思う。関係されたみなさんに、心から敬意を表します。ありがとうございました。ただ、工事など、これからが大変。協定が履行されるよう監視を強めたい」と述べました。
夕方のニュースにも、夕刊や翌朝の朝刊にも報道されました。
 翌日、半鐘山の前にみんなで集まり、「これからが本番!」と気勢を上げました。そのこともまた新聞で報道されました。
 これからも、住民の運動と半鐘山の姿を追ってご紹介します。

 ↑写真は記者会見で僕が発言しているところ       ↑半鐘山の前で勝利報告