みつながを語る
議員団事務局の岡部さん訴え(2011年3月20日 左京女性のつどいにて)
2011年03月20日
日本共産党京都府会議員団事務局の岡部です。
日本共産党府会議員団は、府民の声にしっかりと耳を傾け、実態を調査し、何が問題か、どういう施策が必要か議論し、府民と共同して運動を組織、運動とむすんで議会論戦を行うという活動をしています。
梅木紀秀議員は副団長として、光永敦彦議員は幹事長として11人の議員を束ね、府民の要求実現のための活動をすすめる要として大きな役割をはたしておられます。左京区の日本共産党の府会2議席は、左京区民はもちろん、京都府民にとってかけがえのない議席です。
たとえ定数が4に減らされても、梅木さん、光永さんの議席を勝ち取ることは府民に対する責任だと思って、私は毎日活動しています。ぜひ、みなさんのあらゆるつながりを活かして支持・協力を拡げてください。心からお願いします。
先ほど、江上さんから「私立高校授業料無償化」の制度改善を実現したお話がありましたが、日本共産党府会議員団は「絶対にあきらめない」んです。
私からも、短期間でしたが絶対にあきらめず、知事を動かした府会議員団の実績を紹介させていただきます。
知事選挙直前の秋、長引く不況にリーマンショックが拍車をかけ、とりわけ丹後では機械金属の仕事がなくなり地域経済が大きく落ち込みました。
その年、京丹後市では、中学3年生が前年と比べ93人増えているのに、公立高校の定員は20人分しか増えず、110人が公立高校へ入れないことから、子どもたちは進路に悩み、保護者にも不安が広がっていました。
京丹後市には私学の高校がなく、公立高校に入れない子どもは、宮津市や福知山市、兵庫県の私学へ行かなければなりません。学費も高く、通学費や下宿代もかかるため、子どもたちは「不況のもとで、親に負担はかけられない」「落ちたら来年また公立を受けるから、私学の併願はしない」と言いながら、不安で、親にかくれて泣いていました。そんな子どもたちの姿を見て、丹後の3人のお母さん方から「私たち親は、子どもに、ただ『がんばれ』と言うしかできないのでしょうか」と相談が寄せられました。
光永議員は、12月、雪の積もる丹後へ行き、お母さん方や先生方から話を聞いて、「今からでも、定員を増やすよう府教育委員会へ求めていきましょう。私たちも議会でお母さん方の声や丹後の経済状況、子どもたちのおかれている状況を取り上げ、定員増を求めます」とお母さん方を励ましました。
私はその場にいましたが、正直「今から定員を増やすなんてできるのか?すごいこと言うなあ」と驚きましたが、そこから丹後の3人のお母さんの運動がスタートしました。
お母さん方は3時間かけて、府庁に要請にこられ、直接くらしの実態を訴えました。また、府会議員団と連携して、丹後広域振興局や京丹後市にも「緊急経済対策として定員を増やすよう」知事に要請するよう働きかけました。3人のお母さんから始まった運動が、多くのお母さん方の「知事へのメール運動」に広がり、知事を動かし、受験直前の2月議会で教育長に「経済状況の急激な悪化も見られる中で、定員以上に合格させることも含め柔軟な対応を行う」と答弁させました。
高校入試の結果16人の子どもが定員をこえて合格し、分校で二次募集が実施され6人の子どもが合格しました。
また、梅木議員が予算委員会で「経済的理由で高校へ行けない子どもがでないように、私学も無償化制度を」と求めてきたことも、丹後の運動とあいまって実現しました。
受験を終えた15歳の女の子から府会議員団に手紙が届きました。
「三月十七日に丹後通学圏の高校で、合計十六人の生徒が定員以上に合格となりました。
その裏には一生懸命になって私達の為に動いてくれた人々がいます。誰かが動けば、何かが変わる。それがいつしか大きな動きとなり社会をも動かす。今回は府の教育委員会を動かしました。とても大切なことを教えられたと思います。」
みなさんかたも要求運動のお話がありましたが、住民の願い実現へ、私たちの「絶対にあきらめない」がんばりで、必ず左京区の日本共産党の府会2議席、市会3議席、勝ち抜くためにがんばりましょう。
江上さんの訴え(2011年地方選挙での応援)
2011年03月20日
2010年は公立高校の無償化が全国で実施された。私学の無償化も数件の府県で年収により実施された。
京都も2009年12月の朝日新聞で、年収350万未満の世帯で実施されることが報道された。我が家の次女も2010年の1月に公立の志望校を受験したものの合格できず、次の公立の試験を受ける気持ちの切り替えができないまま、長女と同様の合格していた私学に入学する事になった。その親としての私学入学の判断の基準の一つになったのは、12月の新聞報道の年収350万未満は無償化するという情報だった。
ところが、入学した4月末に、公立高校無償化分の約11万を差し引いたぶんは前納との通知が来た。あわてて、学校に問い合わせると京都府の私学を指導する文教課から無償化の連絡は来ていないとの事。次に在住地の子育てネットに属しているので、府会議員の光さんに相談し京都府の私学学費無償化の現状を聞いたり、我が子の通う私学の現状を話したりした。
その中で、声こそ主体的にあげないけれど、同じように前納を催促され親戚をかけずり回って学費を準備した母子家庭の世帯、生活保護世帯のあることを知った。誰かが声をあげないと、経済的理由により我が子も含め、学校を辞めなくてはいけない子どもたちができる。(現に全国で2010年度9月の私教連調査によると0.04%の高校生の子どもたち101人が経済的理由により中退している)光永さと相談しながら、京都府や私学に働きかける運動が始まった。
光永さんと府議団は、街頭でアンケートをとる、私学41校に制度があっても実施できない理由を調査に行くなどが行われた。また、私たちも、保護者としても、声をあげることを周りの子育て仲間に呼びかけアンケート調査に協力してもらう。子どもが通っている私学と京都府の文教課に何度も足を運び、すり合わせをするなど、地道な運動をした。仕事の合間に息つく暇もなく動いたので途中体調を悪くしたけれど、父親として母親として子どもに不安を持たす、悲しい思いをさせる事のないよう必至だった。私学にたくさんの資料を見せたり、文教課の様子を伝えた事から、我が家の場合は、私学のほうから督促が来るのは精神的負担が多いだろうからと、分納願いを形式的に出すようにと指導された。けれど、京都府の知事は府議会答弁の中でも、私学に理解してもらいながら指導を進めるとの発言ばかりで、秋になっても私学からは制度について連絡はないままに過ぎ、事は進まなかった。我が家は、一定安心できたものの私学に通っている他の子どもたちはどうしているのだろう?
年収200万未満でも、対象者が多い学校、体力のない学校の場合は制度が受けられない事もわかってきた。私学には、公立の無償化分の約11万の生徒数分、私学の無償化分を合わせて約65万(府内平均授業料)も翌年の3月にしか予算がおりないためにタイムラグがおこることもわかった。(我が家の子どもたちが通う私学の生徒数は約1200名、その公立の無償化分だけでも単純に約1億3200万が通常の4月に納入されない事になる)
冬になり、光永さんが直接知事に質問する機会がありTV放映された。制度の進まない理由を突きつけると、そこでも、知事は「私学を指導する、どこの私学が実施していないか」などと逆に光永さんに公的な場で私学の名前を挙げさせようとするなど、私学の名誉にかかわるような事を話し居直った。光永さんのひるむことなく責任をただした姿にTVに私達は拍手をおくった。
今年1月末にようやく、学校より我が家に、授業料減免の対象通知書等と、精算された学費の明細が届いた。
2月になり光永さんより、保護者の運動もあり、府の予算案に●年収500万世帯まで私学の無償化が拡大され、●制度があっても私学が実施できない、私学負担(1/6から1/8)をなくすことが盛り込まれたとの連絡を受けた。
この事で、子どもたちの京都府の対象者は1500名から4500名に増える予定。約3倍の子どもたちが、学費を心配したり、支払えずに辞めたりすることはなくなった。
大阪府では年収615万まで拡大された。しかし知事の露骨な競争教育により公立高校では、校長マネジメント推進事業・がんばった学校支援事業に約4億の予算等。愛さつOSAKA展開事業なんて予算も・。心のあり方まで行政が数値目標化している。教育の現場にも成果主義が持ち込まれている。京都府はどうか?
今後の課題は、●マイナス面も検証するとともに、得た無償化拡大にも、●依然としてタイムラグがあるという事●京都府以外の学校に通う子どもたちは対象でない事など、何点かはある。でも運動が形になった今、また引き続き共産党府議団とともにがんばろうと思える。
小人数学級、教育費の無償化は世界的な流れとなっています。
この運動の成果は、党府議団が一つになり、今まで私学の無償化をいち早く取り上げが親の失業のために学校を辞めなくてはならない、卒業式後に卒業証書を返却された子ども達など悲しい思いをしてきた子ども達を議会で追求してきた梅木さんの実績と、光永さんの小さな声にも親身になり聞き取り、大きな声につなげた成果です。
全国で年収500万世帯を無償化しているのは数件です。住民運動と党のコラボが大きな運動を作り出した事に自信を持ちながら今後もまだ解決されていない事項を光永さん梅木さんと実現してゆきたいと思います。左京の議席を必ず守り、京都から学費無償化を発信し、全校に広げ、子ども達の笑顔をなくしたくないです。
二人の私学に通う子どもを持つ母親
被災地支援にいって
2011年03月20日
こんにちは、第二中央の三島です。
私は、この一週間、宮城県塩竈市にある坂総合病院というところへ行き、塩竈市とお隣の多賀城市で医療支援を行い、11時間かけて昨日帰ってきました。
塩竈市そして隣の多賀城市も、やはり地震と津波の被害が甚大で、現在でもライフラインが復旧していない所が多く、合わせて3、40カ所の避難所でたくさんの方が避難生活を送っておられます。
私が院長の門先生と一緒に支援に入った多賀城市の小学校では、生後たった2か月の赤ちゃんからお年寄りまで260人あまりの方が、寒い体育館で生活されていました。プライバシーを守るものも無く、お風呂にも入れず、冷たい床の上での生活が、もう二週間も続いています。
足が痛いと訴える82歳のおばあちゃんは、津波に襲われたとき、とにかく泳いで助かったと言います。82歳です。
いろいろ具合が悪いと訴える女性は、寒い中を濡れた体で7時間、歩道橋の上で救助を待ちました。
80代のおじいちゃんは、多賀城市より北の方にある女川町に住んでいましたが、津波で家が流され着の身着のままでヘリコプターで救助され、息子がいる多賀城市までやってきました。しかし体育館での避難所生活を余儀なくされ、もともとあった認知症の症状が悪化し、夜になると表情が変わり意味不明の事を言い出すような、せん妄状態が出ていました。息子さんは、他人の方と暮らしている体育館で、おじいちゃんが何か危害を加えたりしないか心配でなかなか眠れないと訴えます。
生後二か月の赤ちゃんは、当然お風呂に入れません。粉ミルクも、普段使っていたモノが無くなったら、アレルギー用の粉ミルクしか配給がなく、味が違うので嫌がって飲んでくれないと、ご家族の方が心配されていました。私も母親なので、赤ちゃんのお母さんの気持ちを思うと涙がでてきます。
そんな中、東京で「今回の震災は天罰だ」と言った人が選挙に出ようとしていたり、大阪では「震災は大阪にとって天の恵み」と言った人が出馬しようとしています。京都では福祉の言葉は使わないと言っている政党があります。
今回の選挙、本当に私たちの命を守ってくれる政党はどこでしょうか。大企業優政治を転換しよう、アメリカへの思いやり予算を削れ、不要な大型公共事業や原発推進事業をやめよ、政党助成金はやめよ、そして、これらのお金や、大企業がため込んでいる巨額の内部留保金を被災地の復興にまわせと堂々と訴えることができるのは、住民の命と暮らしを守り、苦難に寄り添うことが立党の精神である日本共産党しかないのではないでしょうか。
私は、被災地に実際に足を運んでみて、改めてこの事を強く感じています。
皆さんの大きなご支援を日本共産党みつなが敦彦さんへとお寄せいただきますよう、私からもお願いして、訴えとします。ありがとうございました。
事務所開きに寄せていただいたメッセージ(2010年12月8日)
2010年12月08日
事務所開きの応援にお伺いできないかもしれませんので、先に書面にてメッセージをお届けいたします。
光永さんとの出会いは、(PTA総会での)学校体育館でしたね。
PTA活動を通して交流を持たせていただき、熱心な光永さんに、頼ることが多くなりました。
いつもどんなときにも、私たちの小さな心の声を拾ってくださいます。
子ども達が笑顔で過ごせる「社会」「もの作り」を常に考えてくださって、感謝しています。
座右の銘に掲げていらっしゃること(一人はみんなのために、みんなはひとりのために)も素晴らしいし、その行動力からは、何事も「今できること」そして「今しかできないこと」を大切にしてくださっていると深く感銘を受けました。
光永さんの事を、人としてとても大きな方と信頼し、尊敬申し上げており、今回もお伝えしたいメッセージがたくさんありすぎてなかなか、言葉がまとまらず申し訳ありません。
光永さんには、今後ますますのご活躍を期待し、応援させていただきたいと思っています。
近衛中学校保護者(北白川在住) 三神 みゆき
知事総括質疑への感想をお寄せいただきました 京都IBD友の会の方より
2008年04月22日
光永敦彦 様
はじめまして
私は、京都難病団体連絡協議会に加盟する京都IBD(炎症性腸疾患)友の会の藤原と申します。
先日は、「府会だより」をご送付いただきありがとうございました。このなかで先生がご質問いただいた難病患者等の療養見舞金の廃止に関する質問を興味深く拝見し、議事録を読ませていただきました。
ほんとうに廃止のいきさつを知り、京都府の対応はデタラメというかひどい話だと思います。
残念ながら今年度から廃止になってしまいましたが、光永先生の議会質問がなかったらこういった廃止のいきさつというか真実さえ明らかになっていないところでした。
明らかになったということだけでも先生の質問は価値があったと思います。
謝意申し上げます。ありがとうございました。
また、拙著のHPのプログにも少し経緯を紹介させていただきました。
これからのご活躍も期待申し上げます。
以下はブログから転載させていただきました。
2008年4月22日 (火)
療養見舞金の廃止の経緯
京都府が「難病患者の精神的負担に慰謝するため長年実施してきた」とする、難病患者等に年1回支給してきた療養見舞金が今年度から廃止されてしまいましたが、この件について光永敦彦京都府会議員(共産党)が、3月14日の府議会において山田知事に質問されました。
この議事録がHPされています。
この質疑で注目すべきは、山田知事は廃止の理由を「難病連絡協議会などで専門家から意見を聞いて決めた」と答弁しました。
しかし、難病医療連絡会は平成18年度も19年度も一度も開かれていなかったということです。
開かれたのは平成16年と17年に1回ずつ、しかもこのときは療養見舞金の廃止に関する意見はなかったということです。
そして、昨年7月頃に、外部委託委員による「事業仕分け」というのを行い、わずかの時間の討議で廃止が提案されたということです。
この外部委託委員というのも誰なのか明らかになっていません。おそらく医療とは関係無い分野の方々ではないかと推察されます。
そして、府から京都難病連に説明があったのが今年の2月。
ということは知事の説明はなんだったのでしょうか。ひどい話です。
そして、山田知事は「患者さんらとお会いして新しい事業で充実したい」と答えざるえなかったそうです。
難病団体の側に立って府議会で質問いただいた光永議員に謝意を申し上げます。
2007年12月定例議会 代表質問に感想をおよせいただきましたのでご紹介します。
2007年12月08日
光永敦彦様
昨日(12月7日)の代表質問を傍聴しました。
見事な質問でした。傍聴席からはできませんでしたが、大きな拍手を府会議員団と光永議員におくります!
国の「構造改革」路線が京都府の地場産業や農業、教育などをいかに疲弊させ、苦しめ、傷つけ、夢や意欲を奪っているか。その告発が実ににリアルでした。
一般論で終始した自民党と民主党の代表質問との違いがこの点でも際だっていました。
現地に足を運び、現場を見、その叫びを直接に聴き取り、府民の要求・願いを代弁した質問は、与党議員のヤジを黙らせました。
論旨明快な光永質問に対して、まともに答弁しようとしない山田知事。さらに、再質問で追及する光永議員。それでもまともに答弁できなかった知事。
再質問さえせずに終わった与党議員の質問との違いはこの点でも光っていました。
子どもの学習権保障を迫った質問について、私は最も集中してそのやりとりを見守りました。
質問時間の制約があったからでしょうが、修就学保障の拡充や通学費や教材費等の補助などについても、もっと具体的な数値を示しての追及がほしかったと思いました。しかし、この観点から生徒や学生、保護者の要求・願いを代弁できるのは日本共産党しかいないこともはっきりしました。特に山田知事は、今日の奨学金制度の実態等をまったく知らないのではないかということもさらけ出しました。あらためて山田知事は官僚出身知事であることを思い出した場面でした。
京都市・乙訓地域の高校入試制度と通学圏の改変問題について、福島県および香川県で全県一学区制としようとしたもくろみにストップがかけられたことを紹介しながらの質問とその追及には喝采をおくります。京都府および京都市教委による制度改悪の動きが、福島県や香川県と比べていかに拙速か。高校入試制度の最も直接的な当事者である中学生からアンケートをとり、その意向を尊重して「答申」の方向とは異なる選択をした両県教育委員会の主体性や行政姿勢を対比する中で、府・市両教委の問題性がくっきりと明らかになりました。田原教育長が「意見募集を行った」と答弁しましたが、合計246件の意見のみ。しかも、その内の中学生の意見の件数はどれほどのものだったでしょう。与党議員が「中学生の意見を聞く必要などない!」というヤジをとばし、田原教育長は、「(施策については)大人が検討し、決めるもの。中学生には(施策を)説明する」などと答弁したのに対して、「中学生には意見表明権があります」と、鋭く子どもの権利条約第12条の意見表明権で切り返した場面はすばらしかったです。意見表明権こそが子どもの権利の根幹をなす精神であり、「中学生の意見を聞く必要はない!」などとヤジをとばした与党府議の見識や、「大人が検討して決めるもの」などとした教育長の答弁は、子どもの権利条約違反です。
「構造改革」路線が府民の暮らしにどれほど深い影を落としているか、そして府政の役割は何かを明らかにした光永議員の代表質問にあらためて敬意を表します。
代表質問の最後のところで、「中村市長実現で京都市政の刷新を」という府会議員団を代表した決意表明は与党議員の猛烈なヤジの嵐にあいましたが、まさに2月の京都市長選挙はまたとないチャンス。ともに頑張りましょう。
京都教職員組合 深澤 司
「半鐘山と北白川を守る会」共同代表 岡村芳郎 2007年3月
2007年03月01日
ありがとう。みつなが敦彦さん
2006年12月、京都地方裁判所において、「半鐘山問題」が私たち住民の要望どおりに和解できました。8年あまりにわたりいつも一緒に闘ってくれたのが、光永さんです。
苦しんでいる人の立場にたてる心、救おうとする行動力、そして様々な意見をまとめていくリーダーシップはすばらしく、日々、医療現場で仕事をしている私にとっても見習わなければならないことです。だから私は光永さんを応援しています。
光永を応援する「集まろう会」(学童やPTAの仲間)に出席していただいたみなさんから一言メッセージ
2007年02月28日
●いつも学童、PTA、地域・・・とみんなのためにありがとうございます。
本当はすご~い人なのに「みっちゃん」と呼び、文句やわがままもいい、すみません。
いつまでもかわらず、素敵な光永さんでいてください。
●光永さん
地域に密着した活動をどんどん進めて、少しでも前向きに動こうかなあと思っている人の推進力となってください。
●いつも地域でのご活躍ごくろうさまです。
雇用の問題だけを考えても、子どもたちが大人になったときにどうなっているのだろうと、将来に不安を感じます。正社員はこきつかわれ、不安定雇用しかなく、税金や年金はだれが負担するんだろう。こんな暮らしにくい世の中では、小しかも必然のような気がする。
子どもたちが大人になってイキイキと活躍できる世の中をつくりたいですね。
●格差社会の中で、日本共産党の主張が「キラリ」と光って、どんどん実現していきますね。
いままでソッポを向いていたマスコミも注目しています。
子どもたちのための21世紀を。これは大人たちの責任です。ガンバッテ!
●子どもたちに夢と希望を!
●信念をもってやりたいことをやってください。
●憲法改正とか、格差社会とか、子どもたちが行きにくい世の中になろうとしています。なんとしてもくい止めて、次の世代に明るい希望をもたらしたいと思います。
●「教育は100年の大計」です。教育予算を減らさないでください。子どもは宝です。ども子どもも宝です。西京高付属中や洛北高付属中のみにお金をかけるかたよった教育・予算配分をやめて欲しい。
●いつもいつもご苦労様。市民・府民のためにがんべっている姿をみるたび、本当にすごい人だなと尊敬します。弱いものの見方の光永さん、がんばってください。私も微力ですが努力します。
●学童・学校・地域のために、いつもありがとうございます。
●学童の保護者会長おつかれさまです。街頭演説も寒い中、いつも大変だなあと思って見ています。選挙がんばってください。
●北白川の児童館運動ではいろいろとお世話になりました。
身近に子育て世代で頑張っている議員さんがいて本当に励みになるし、誇りに思っています。これからもいつもはホンワカして、いざとなると頼りになる光永さんに期待しています。なんとしても三期目当選めざして私も力を尽くします。
●乳幼児医療の需給年齢を上げて欲しいですー。応援しています!
●京都っていい街だなと思えるように、これからもガンバッてください。応援しています!!
●本当にがんばって!
障害者の分野も新たに負担軽減策もとられていますが、根本的に利用者負担という考えはかわらず、やっぱり大変です。
●とにかく人が大切です。特に教育。先生を十分足りるようにしてください。
●光永さんがんばって!!
朝、熊野神社前で演説されてたのを自転車にのって見てましたよ。
●いつも子どもたちにたいする光永さんの愛情に感謝しています。これからもがんばって将来を担う子どもたちによき社会を!!
●光永さんとお知り合いになってしまったので、応援するきっかけとなってしまいました。そういう消極的な私を積極的にできるように、アピールしてきてください。
●光永さん もっともっともっとがんばってください。
期待しています。
吉田の住人さん より
2007年02月05日
情勢は混沌としていながらも、国民の声を誰が一番恐れているかを明らかにしつつあるように思えます。
ところが国民が、まだその自らの潜在能力を自覚していません。
国民が怒り、こうどうすればどうなるか。
その確かな証拠が、日本共産党であり、光永敦彦です。
府民の声を政策化し、府会で追求する。すぐに知事は反応せず、府民が、誰が問題提供し、追及し、提案したかを忘れたころに、「知事がやった」と共産党・光永さんの提案を実行すると言う成り行きです。
光永さんの道理ある指摘が、府民の声に裏付けられた光永さんの提起がそうさせているのだと思います。
この差を私たちが埋めなければと思っています。
光永さん引き続き府民の声を「チーム」で聞き取り、府民とともに要求運動を起してください。
幸先良いニュースです 投稿者:ドゥ・タイシ
2006年12月18日
光永さん、お誕生日おめでとうございます。
今年もご無事で迎えられて、ご家族、ご両親の皆々様方もほっと一安心されておられることと存じます。
光永さんのHPを読んでいると、光永さんが一年間のうちでまともに、他愛なく寝ていられる日は、「お盆に里帰り」された、1~2~3日ぐらいじゃないでしょうか。本当に御苦労様です。それでも今年の誕生日が「教育基本法」が「廃棄」された日になるなんて。しかし私には、それに抗う闘士が「誕生日」を迎えられて、意気軒昂にあられ、当日の朝にその「声」を聞いたものとして、これほど心強く思った日はありません。
日本の政治史の汚点の日として「許さない・忘れない」日としてだけ、記憶に留められようとしたときに、この「闘士」の誕生日と重なったことは、再びご一緒に戦い始めるんだ、と決意させてくれた日となりました。私にとっては幸先良い、知らせの日となりました。ありがとうございました。いえ、おめでとうございます。