2012年08月31日
常磐線は今も一部を除いて再開していません。そのため、線路には草が伸び放題。
小高駅には、近所の高校生の自転車が数百台にわたり、あの日のまま置かれています。
言葉なく歩いて周辺を見て回ります。
↑小高駅 ↑にぎわった駅前も誰もいません
↑草が生えたままの常磐線 ↑0.3マイクロシーベルトに
数値があがりました
2012年08月31日
常磐線は今も一部を除いて再開していません。そのため、線路には草が伸び放題。
小高駅には、近所の高校生の自転車が数百台にわたり、あの日のまま置かれています。
言葉なく歩いて周辺を見て回ります。
↑小高駅 ↑にぎわった駅前も誰もいません
↑草が生えたままの常磐線 ↑0.3マイクロシーベルトに
数値があがりました
2012年08月31日
↑人が誰もいない商店街 崩れたままの商品が見える家具屋さん↑
この商店街は、震災前はシャッター通りでなくけっこう地元から重宝されているにぎわった商店街で、全国初のオンデマンドバスシステムを導入した地域で、全国各地から視察もあいついだところです。津波は常磐線まで来ましたが、商店街はギリギリ津波被害はうけませんでした。しかし、原発事故のため、人が住めなくなり、昼間は帰れるといっても、商店街には、作業する人以外は、ほとんど誰もいません。お店の商品も震災の地震で散乱したままです。
木造の古い住宅はところどころ崩れています。それを国の責任で撤去する作業がされていますが、今年七月まで業者が決まらなかったそうです。これも放射能の心配があったためではないでしょうか。
←倒壊している家
2012年07月28日
毎年恒例の吉田区民夏祭り。僕は学童OBの店の責任者で、実行委員として会議を重ね、当日を迎えました。
とはいえ店は毎年恒例の水ギョーザ。今年も声をかければ多くのお父さん、お母さんが集まってくれて、店当番をしていただきました。なんか毎年この時期に集まるので同窓会気分で、暑くてたまらなかったけれど、気の知れた仲間どうし、楽しい時間でした。水ギョーザも、出張販売(お盆に載せて歩き回る)すると、知っている子供たちにであい、顔を見るとすぐ買ってくれる。1杯100円なので、何杯も食べる子も。300食は猛暑でしたが、なんとか売り切れました。
店当番していただいた仲間の皆さん、本当にありがとう!!
また来年も会いましょうね。
2012年07月21日
サッカー部の夏季大会が終わりました。
友の部屋には「ベスト8を目指す」と書いて毎日頑張ってました。
3回勝利して、次はいよいよベスト8を目指す試合。
その日は大雨。試合がはじまると見る見るグランドはぬかるんで、途中からボールが浮き上がるほどの田んぼ状態。
友たちはズーッとパス主体のサッカーを目指してきたので、こうなるとパスが通らない。1対0で迎えた後半。なんとフリーキックのボールに友が反応してシュート。同点に追いついた。同点のまま終了しPKに。
5人づつけって多くゴールした方が勝つ。友は最後5人目のキッカー。雨で足元のボールが落ち着かず、コースを狙うと外れる可能性があるため、多くのキッカーが次々キーパーの真正面に蹴ってしまう。友の番。友も同じように真正面になってしまい、キーパーに止められた。5人で決着がつかず、サドンデス方式。つまり失敗した方が負け。6人目、失敗して次に相手の6人目。これが決まれば負ける。そして決められてしまい目標のベスト8には届かなかった。みんな大雨の中、うなだれる。残念だけど本当よく頑張った。
翌日、3年生のサッカー部と保護者、先生があつまり、ご苦労さん会を開催。
一人ひとりがあいさつ。みんな、しっかり挨拶して、親は泣きまくり。
そして友の番。
「今まで、みんなとがんばってこれて楽しかったし、先生には何回もアホことしてお世話になって、いろいろ教えてもらったし、学んだこともいっぱいあったし、親にはいろんなことしてもらって自分を支えてもらって、今までずっと言えなかったけど、今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」
僕も妻も泣きました。
2012年07月16日
晩御飯を食べ終えたあと、突然あいが、友を「ちょっと」とよびだす。友はニヤニヤしながらあいについて行った。
なんのこっちゃ?と思っていたら、二人そろって登場。手にはプレゼント。ビールのむためのジョッキと香りのするロウソク。
あいが「お母さんお誕生日おめでとう。」
そして、手紙も渡す。
受け取った妻が泣く。
あいが「私と友が考えて、おこずかいで買ってきた」
友「手紙書けっ!!って言われたから書いたし。プレゼントはオレは買いにいってへんけど。」
それを聞いて、また泣く。
全く親バカですな。
2011年09月18日
今のチームになって、友たちが新人戦に出場。
一勝一分け二敗という結果。
勝てる試合だったようですが、やはり緊張と暑さの中、一日二試合で走れなかったみたいです。
家で聞くと「もう二試合目はヘロヘロ」
もっとごはん食べて体力つけないとあきません。
2011年07月30日
友の中学校の夏の公式戦がありましたが、残念ながら一回戦で負け。試合前「絶対勝つ」と言ってたのに。
これでお世話になった三年生は引退。友は新しいフォーメーションでトップ下に。家に帰るなり「トップ下になった」と喜んでた。そのポジションでゲームメークや時には点をとるなどやりたかったみたい。その願が実現するよう頑張ってほしい。三年生には本当にお世話になりました。ありがとう。
今年も恒例、吉田区民夏祭りに、僕は実行委員として学童OBの店担当。水餃子を300食売るのです。雨の心配もあったのでお店は体育館内に。蒸し暑くて蒸し暑くて大変。
でも、学童時代の保護者が次々と手伝ってくれて、同窓会のよう。本当に久しぶりに会う方もいて、演奏や出し物を聞きながら近況を話しまくり、販売はそこそこで楽しみました。
我が子のあいも学童OBの友達とともに水餃子をもって訪問販売。「私たちおばさんが売るより、よく売れるから売ってきて~」と言われ、何度も売りに回ってくれた。しかも、高校の先輩たちまで呼び出して、みんなで遊んでいたのです。たくましい。あいは近衛吹奏楽部部長だったので、演奏は聞いてたみたいですが。
お母さんたちは、「高校生になっても来てくれるなんてうれしいね~」と喜んでくれてました。
友は、サッカー友達とお店で食べまくり。水餃子の店にもたくさんの友達で来てくれたが、手伝ってはくれない。まあ、中学生だからね。店に近寄るだけでもかわいらしいもんです。
写真は僕がはしゃいでる様子がわかりますね~。
2011年05月02日
今年もGWは、子どもたちはクラブで大忙しのため、1日夜に妻の実家・福知山に一人帰省し、2日は一日田植え。機械で植えたのだが、朝も昼も機械トラブルで一日がかりとなった。弁当をもって田んぼに行き、義父母と三人で食べ、気持ちいい風に吹かれながら、なんとかその日は終了。夜には義姉の従姉も帰省。
翌日3日も朝から今度は手で植える。機械では隙間があいたり、抜けていたりなどあるので、家族総出で田んぼを歩きながら植えていく。そのうち、京都を早朝出発した妻も参加。一日がかりですべての田んぼを手で植えた。
僕は子どもたちの晩御飯があるため、京都へ急いで帰る。妻が変わりに実家に泊まる。
しかし、その日は、友はサッカーのアンダー15の試合で勝ったため、みんなで祝勝会。焼き肉食べ放題にいくようで、晩御飯は僕とあいだけ。
「ラーメンでも食べに行くか」と言うと、「いや。二人でいってたら、誘拐されたと思われるから」などとわけのわからないことを言い出す。
しかし、あとで「お父さんと食べに行ったら、知っている人に出会うから、いややねん」とポツリ。
うーん。あいも友も、選挙でいろいろ気をつかっていたんやね。ごめんね。
夜9時になり友がハイテンションで帰ってきた。
翌日4日は、あいも友も早朝から試合。僕は朝ご飯を食べさせて、すぐに僕の実家に向かう。京都市内が大渋滞で2時間以上かかった。昼すぎに妻が福知山から義姉とともに僕の実家に到着。そして親戚のおばちゃんが選挙中入院していたけれど、お見舞いに行けなかったので、親戚の家に。思ったよりかなり元気そうでホッとした。
夕方、渋滞を避けて妻と京都に帰り、このGW初めて家族4人で晩御飯を食べた。