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申し入れ
2011年08月29日
民主党の代表選挙の放送ばかりの一日。
午前中は錦林地域をあるいてまわる。あちこちで「代表選挙ウンザリ」の声。今日は猛暑日で汗が流れる。昼に自転車で府庁に。政策検討議会の準備会議を行う。
そのうち、福島から被災されて京都に来られた方が、京都府に申し入れをされるので、府議団に15名こられお話を少し聞いた。
僕はすぐ自転車でまた地区委員会に向かい、9月2日の赤嶺議員の講演会チラシを7000枚印刷。夕方は、吉田地域を歩いてまわる。ここでも「政治こそ変わらないといけないし、共産党しか希望がない」と言われる方にであい、また決意がみなぎった。
夕方、近所で空き巣が入ったとのこと。僕の町内だったので、町内会長としてそのお宅にお見舞いに。こんな街中でこんなことがおこるとは。さっそく緊急回覧を作成することにした。今から作ります。
夜は、宗教者の方などに9月2日の案内。いよいよ近づいてきた。
団会議
2011年08月27日
昨日は、銀閣寺交差点と飛鳥井町で朝宣伝。飛鳥井町では次から次へと手を振っていただきました。
団会議は9時半から。普段は10時からですが、午後から舞鶴で医療関係の会議に出向くため早めた。しかし、重要な報告がたくさんあって結局昼までかかった。舞鶴組は11時すぎに出発。
午後は11月に行う地方議員研修会の座長・副座長会議。
僕は「議会改革」の分科会に。大阪や名古屋の動きもあるだけに、学習的要素をいれてはどうか、と提案しその方向で調整にはいることになりました。
夕方まで政策検討会議に提案する内容について準備して夜六時半から地区委員会で永年党員(30年)と50年党員の方の伝達式に出席し、司会。これだけの長きにわたり活躍されてきた方に学ぶことは本当に重要で、しかもこれだけ長きにわたる活動を表彰できる党は、日本共産党しかありません。短命で首相がコロコロ変わる中、永年党員・50年党員の方から、口々に「日本共産党員でよかった。誇りに思う」との言葉がついて出ました。そういう方々が先輩にいらっしゃること自身が、僕らの誇りです。みなさん健康に気をつけて引き続きご活躍していただきたいと思います。
終了後、自転車をとばして高野団地の横にある集会所の売却問題を考えるシンポに向かった。住民の方々が開かれているもので、僕も出席し意見をのべさせていただいた。久しぶりにあうPTAの方とも話ができて、今後の運動の活力にもなりました。この会議は夜9時をすぎるまで論議がつづきました。
報告会
2011年08月27日
朝は左京議員会議。民主党代表をめぐる報道の洪水の中、今なにをすべきかについて検討した。
終了後、警察署に用事。家に戻り9月2日赤嶺講演のビラをつくり、新聞に折り込む手配。お昼を過ぎたので第二中央病院で行われる原水爆禁止世界大会報告会に。若い職員さんたちが次々と経験と今後の思いを語ってくれて、胸が熱くなった。1時間の予定がほぼ2時間かかったので、急いで地区委員会にもどり、3時から単位後援会の方針について検討会議。現在考えていることを発言し、すぐ大日如来の準備に戻る。町会長をしているので、保管庫のカギをあけテントの準備。そのうちご近所から20名程度あつまっていただいてお地蔵さんの掃除などテキパキと進む。たくさんあつまってくださったので約一時間で準備が完了。あとは明日の天気のみ。
着替えて北白川後援会のつどいに参加。40人近くが集まってくださっていた。あいさつして楽しく市長選挙のことなど語り合った。
明日晴れますように。
中村和雄さん
2011年08月25日
朝の宣伝は東一条。後援会のみなさんと。途中、生活相談が入ったので、そのまま午前の会議は欠席させていただき、いろいろ対応。
午後には、中村和雄さんが呼びかけられた、左京の住民運動団体との懇談。僕も出席して「区民協議会」のあり方等について意見交換。
三時半には終わる予定が、やはり白熱してだいぶ伸びることに。
夕方、大日如来の配りものや準備を一時間程度でテキパキすまし、9月2日に開く「平和のつどい」(赤嶺政賢衆議院議員のお話)の実行委員会に出席し、最終の準備を確認。あとは参加人数だ。
夜は、「それでも生きてゆく」を見た。毎週、この時間はなぜかみんなでこのドラマを見てきた。重い内容だけど、ついつい見てしまうのです。
誕生日
2011年08月24日
午前中は、まもなく行われる大日如来のために、警察署に道路使用許可申請、そして買い出しなどなど。お昼前に府庁に行き、正午からは、議会改革検討小委員会。今後9月議会をめどにこの間の議会改革の成果や課題を評価する会議で、今後の進め方などを協議。時間がないなかでかなりタイトな会議日程となる予想。
午後1時半からは議員団の指導部会議。議員報酬削減の対応について協議。午後2時半から総務環境常任委員会。再生可能エネルギーの施策について検討する委員会だったが、議員同士の意見交換については、まったく論議にならず、傍聴者もおられましたが、内容の論議ができないまま終了。もっと自分たちの考えを戦い合わせる必要がある。
夕方は、団政策検討会議にむけた準備等バタバタと行い、急いで自宅に。妻が残業で晩御飯をつくり、三人で食べた。夜7時からは、大日如来の町内会会議。町内会長をしているので、この日曜日の最終準備を我が家で行った。
会議が終了し、夜、あいも友も八月生まれのため二人そろってささやかながら小さいケーキを家族4人で食べた。
民主党代表選挙をめぐる報道が続き、マスコミのあり方も問われていると感じます。
今こそ飛躍を
2011年08月04日
原発問題、震災問題と国会終盤にむけ、混迷する政権のもと、本気の取り組みが求められています。
今日は朝、直射日光をうけながら後援会のみなさんと朝宣伝のあと、自宅にもどり現在町内会長をしているため大日如来祭の準備を少しだけ行い、すぐ10時から始まる健康友の会役員会の資料印刷に、共産党事務所に。そして社会保障をめぐる情勢と解決の展望について、役員会で約1時間講義。今年は僕も役員になったので、午後3時ころまで講義にもとづく討論や今後の方針について意見交換。
府庁に自転車で移動して、明日の団会議の準備などあわただしく行ったあと、夕方5時半から左京社保協の定例会議に出席。そこで、今後の秋の運動について意見交換。かなり意欲的な方向に踏み出せそうな感じのいい会議に。会議を一時間で終えて、すぐ市長選挙立候補予定者の中村さんと民主市政の会左京連絡会に参加する各団体長との懇談会に出席。ここでも中村さんの四年間の精力的な活動が、市政を変える大きな力に結実していることを実感しました。今度こそです。
明日はまた、中村さんと区役所問題の団体との懇談会です。
魂の訴え
2011年08月01日
ツイッターにも載せましたが、東京大学児玉教授の参考人説明。
内容もそうですが、研究者の立ち位置に魂を感じます。
http://savechild.net/archives/6135.html
ひどい茶番だ
2011年06月04日
あきれてものが言えないとはこのこと。
内閣不信任決議を提出した動機も動機なら、賛成するか反対するかでもめた事態と投票結果もあまりにひどい。
もうコメントを書いたり、そのことを宣伝したりする気力も失せるほど、どうでもいい話。そして今日のマスコミへの民主党各議員(府議も含めて)のコメントを読んで、また脱力。いったい被災地の現状や苦しみ、原発の対策をどう考えているのだろうか。結局、「被災地のため」などという大義名分をふりかざして政局にして時間と労力をもてあそんでいるのだ。そのことは、もはや国民誰もが感じていることを、国民目線で真摯に受け止め、向き合うべきだ。
中身を書く気にもなりません。
当然、わが党は提出した側にもぶれ続けている側にも立たないため、棄権しました。いうまでもありませんが。
ひどすぎます。
2011年05月26日
今日のニュースで流れたものです。以下はその転載です。
これって情報隠しではないか?本当なら全く許されません。さすがに関電も「調査する」と言わなければならないほど、今回の事態を重大視せざるをえないのでしょうね。
日本の中世の歴史研究家・敦賀短期大学の外岡慎一郎教授が調べたところによると…
「全国で最も多くの原子力発電所が集中する福井県の若狭湾で、およそ400年前、地震とともに波で家が流され、多数の死者が出たとみられる記述が複数の文献に記されていることが分かりました。関西電力は、これまで津波による大きな被害の記録はないと説明してきましたが、誤解を招くものだったとして、当時、津波の被害があったのか調査することを検討すると明らかにしました。
福井県の若狭湾は、関西電力や日本原子力発電などが運転する全国でも最も多い14基の原発が集まる場所です。原発は、建設時に過去の地震や津波について調査を行うことが義務づけられていて、関西電力は、調査の結果、若狭湾で津波による大きな被害の記録はないと、これまで地元の住民や自治体に説明してきました。しかし、東日本大震災のあと日本の中世の歴史を研究している敦賀短期大学の外岡慎一郎教授が調べたところ、京都の神社に伝わる「兼見卿記(かねみきょうき)」という文書に、天正13年、西暦1586年に起きた「天正大地震」で、若狭湾を含む沿岸で波が起こり、家が流され、多くの人が死亡したという記録があることが分かりました。また当時、日本に来ていたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが書いた「日本史」の中でも同じ天正大地震の記述として、若狭湾と見られる場所で「山と思われるほど大きな波に覆われ、引き際に家屋も男女もさらっていってしまった」と記されていることが分かりました。これらの資料は、国史の編纂にも使われる歴史資料としては一級のもので、NHKの取材に対し、関西電力は、昭和56年には2つの文献の内容を把握していたが、信ぴょう性がないと社内で判断し、住民や自治体には、津波による大きな被害の記録はないと説明してきたことを明らかにしました。そのうえで、これまでの説明が誤解を招くものだったとして、文献の記述のような被害が、大きな津波で起きたのか調べるため、ボーリング調査など科学的な調査を行うことを検討すると明らかにしました。」
臨時議会はじまる―「申し入れ」
2011年05月23日
今日から臨時府議会が始まりました。改選後の初めての議会で、僕は本会議場の最後列に座ることに。見回すと、他会派も含め重鎮ばかりで僕だけ一人若手。なんか座り心地がわるい感じです。
そして本会議終了後は他会派に「議会の民主的構成についての申し入れ」を行ったあと、記者クラブで会見。記者からは次々と今議会の様相について質問が寄せられる。
議会基本条例が成立した改選後初めての議会ですから、府民的にみて役員選出は公正にして開かれた形で行われるべきです。五日間の議会ですが、そのことを求めて奮闘します。
今議会に向けて先日、琵琶湖畔で団総会が一泊で行われました。
朝起きると快晴でキレイ。パチリととってその後湖畔を散歩。会議はかなり濃密でしたが、リフレッシュもできました。