鹿島西町第一応急仮設住宅へ

お米を持って訪問したのは、鹿島西町第一応急仮設住宅。
ここは比較的、街中にあるため、「高台の仮設にいけば、生活がたいへんなので、狭いけどこっちにした」という声が聴かれるように、高齢者が多い仮設でした。初期に立った仮設のため、壁が薄く部屋は狭くて、夏暑く冬寒いものです。いったん、新潟や福島の内陸部に避難していた方も、雪の多さなどから、故郷の海が近く気候が比較的温暖な南相馬に戻ってこられた方が多いと聞きました。
 訪問すると「よく来てくれた。ま、入ってくれ」と言われ、八十歳代のご夫婦のお宅にお邪魔しました。「震災後、八回点々としてようやく自宅ちかくのこの仮設に入れた。津波は来なかったけれど、警戒区域のため帰れない。もう歳なので、生きているうちに、家に帰れるか・・・」と一時間ばかりお話を伺いました。この方の娘さんは小高商店街で歯科医をされていましたが、今は入れないため、福島市内に。お孫さん二人も歯科大学生。「孫が帰ってきてまた小高で開業してくれたら、これほど幸せなことはないな。でも、いつ帰れるか」とつらそうう。そして「ひ孫が生まれてうれしい。でもここには放射能があるから呼べないけど」と写真を見せてくださいました。ジュースやアイスクリームまで出してくださいました。
 また、原発下請けでクビになった方は、仕事がなくて除染作業も安いし正職員でないし、放射能にかかわるのもいや、年老いた母も一緒に暮らしているから遠くに働きにでるわけもいかない。本当にしんどい」と。
 六〇歳代の女性からは我が子を見て「中学三年生?偉いなあ。原発のない世の中になるため、若い人に頑張ってほしい。頼むで!!」と叱咤激励されました。友も背筋を伸ばしてお話を聞いてました。

↑鹿島西町第一は大規模仮設でした         ↑訪問したお宅の方と一緒に
                                 写真をとらせていただきました